参加者:竹市通昭(1975春卒) 小浦美利(1977春卒) 司会:小船井龍彦(1975春卒)
司会: 昨年来のコロナ禍がなかなか終息せず、日々の生活のありようが戻らない状況が続いております。私どもは能楽研究部観世会において一緒の学生時代を過ごしました。
直接お会いしてお話しすることができない状況でもありますので、本日はライン上にお集まりいただくことといたしました。お話の内容ですが、学生時代の想い出に始まって近況そして今後のことなどについて気軽に語っていただければと存じます。
では、早速ですが、竹市さん、入部のきっかけは、何でしたか?
<入部のきっかけなど>
竹市: 昭和46年(1971)長崎西高等学校から法学部に入りました。オリエンテーションが終わり和泉の中庭を歩いていたら、秋田さんから「お宅、どっちから来た?」と声をかけられ、「あっちから」と。その後部室に連行され、そのまま4年間部室で過ごすはめになりました。
司会: ハハハ、秋田さん懐かしいですね。秋田さんの問いに対して、応えが「あっちから」とは面白いですねえ。指をさしたのでしょうねえ、目に浮かぶようです。
小浦さんは、入部に際してどのような経緯があったのですか?
小浦: サレジオ会の日向学院から商学部に入りました。詩作をやっていたのでその方面のクラブを探していた折に竹市さんと会いました。それから今日までお世話になっています。
司会: ああ、新入生紹介の際の、小浦さんの詩の朗読を思い出しますねえ。「青き麦穂の…。」
いやあー、懐かしい! 竹市さんからの誘いの言葉を覚えていますか?
小浦: 言葉よりも真面目さがあり、話を聞いてみようと感じました。
竹市: 長崎弁なまりで誘ったのが良かったのですかねえ。小浦さんこそ真面目青年が歩いている様子だった。
小浦: 暫く話してみて、同じ九州男児で親しみと安心があったような気がします。
司会: 真面目な長崎弁が、真面目な歩行者に(笑)
竹市: そういえば、先日このコーナーで淵上さんが「落合恵子さんのラジオ番組を聞いたのが入部のきっかけ」と話していましたね。その番組でインタビューを受けていたのは私で、入ってくれる人がいなくて困っていると言ったんです。ラッキーでした。同じ時代にクラブ生活を送るのは本当に不思議な縁です。卒業26年後、岩手県二戸市の郵便局に赴任した時、市内の大きな企業の社長さんと郡山の橋本先輩がお知り合いということでものすごく助かったことがあります。能研が思わぬところで繋がっていることを感じました。
話を戻すと、小船井さんの新潟魚沼の実家に泊りに行った時、沢山の能面が飾ってあるのを見ましたが、親御さんの影響でこのクラブを選んだのでしたかね。
司会: ええ、子どもの頃実家の2階で祖父が仲間の人たちと謡や仕舞をやっていました。あれは祖父が打った面です。そんなこともあって迷うこともなく入部しました。
ところで、学園祭や舞台での思い出はありますか?これはいろいろあるのではないでしょうか。どうですか?竹市さん
<学園祭・舞台の想い出>
竹市: 同期は小船井、平山、高橋、女性では添田、平山(吉田)、藤井さんがいます。小浦さんは、我々が3年の時の新勧で入部してくれました。先輩、同期、後輩の皆さんと密なクラブ生活でした。学園祭や舞台については、全く間違わずに一曲出せた記憶がないというのが一番の想い出。学園祭の準備では谷口先輩の会社から木製のパネルを無料で借りて、その上にベニヤ板を釘付けして舞台を作り、「昨日より今日、今日より明日」と裏面に大書された見事な鏡板をセットするその作業をよく覚えています。名言を残してくれたのは、平田、山田(晴)、山田(博)、吉川先輩。ものすごいインパクト。我々の代の卒業記念にも後々残るものをと、能研の旗を贈ることとしました。
司会: そうですね、先輩方のお手製の鏡板、私たちの舞台を見守ってくれていましたね。その後も、ずーと。舞台づくりといえば、パネルを教室の固定机に5寸(?)釘で打ち付けたこと、今でも大学には申し訳なく思っております。
竹市: 関西学院との交歓会もあり、摩耶山での交歓合宿も。前日飲み過ぎて舞台がグルグル。
何行もすっ飛ばしました。
司会: 小袖曽我でしたっけ? 「母は声を上げ…。」
竹市: そうです。小袖曽我といえば、一緒に見に行った山形黒川能でもハプニングを目の当たりに。
司会: 母の装束が…。
竹市: 黒川能は夜通し演じられるので眠くもなりましたが、下居の姿勢になった時、臀部が音を立てて裂けた。「母は音を上げ…。」 あの音に目が覚めた。装束の縫い糸も長い歴史を経てぷっつり、だったのでしょうね
司会: 真冬の雪深い里で演じられる能、昔からの地域の独自の伝統を守り伝える春日神社の神事、強く印象に残りましたね。下座にお邪魔した時出会った酒飲みのオッチャンもね。
竹市: 何の話でしたっけ?そうそう小浦さんの学園祭の思い出は?
小浦: 学園祭は、駿台祭が思い出に残っています。舞台を守るためにその場に泊まりました。夜中あまりの寒さに教室にかかっている暗幕を外し、体に巻き付けて暖をとりました。朝は女性部員の差し入れのおにぎりが嬉しかった。
司会: 舞台は6号館でしたっけ?記念館で三曲の人たちとの合同の舞台もありましたね。民謡研究会の「尾鷲節」も印象に残っていますねえ。
竹市: ほかにどんなことが印象に残っていますか?
小浦: 舞台を経験することができて本当に嬉しかったですね。
司会: そうですねえ、小浦さんの「経正」は記憶に残っていますよ。私たちは、謡、仕舞、囃子と多くを教えていただきましたが、いざ舞台に立つとなかなか思ったようにはいきませんでしたね。地謡の謡出しの調子が高過ぎて途中で変調したり、謡がループしてシテを困らせたり…。赤面の至れり尽くせりでした。
竹市: 謡のループは、仕舞地頭で何度も経験しました。舞台はぐるぐる、謡もぐるぐるです。それでも舞台については、失敗ばかりが残っているけど、発表までの稽古の大切さ、ほんの少しの自己主張があっても、やはり全体でまとまるチームワークの有難さ大事さを学んできたのかなと思いますね。
司会: そうですね、ひとつの舞台はシテを中心とした調和の世界ですからね。初台での藤村先生のご指導も厳しくてやさしくて…。我々がうまくできたときの先生の何とも言えない表情、懐かしく思い出されますね。
<合宿>
司会: それでは竹市さん、合宿についての想い出は?
竹市: 合宿は、野尻湖、西伊豆子浦、志賀高原、忍野八海、千葉富浦などに行ったと思います。富浦を除くと交通の便が良くないところ。料金の安さに加え、歴史的に下級生が脱走し難いところが選ばれている。実際、脱走はあったようですね。合同謡の膝の痛み、指導の厳しさに耐えかねて。息抜きのハイキングはよかったですね。忍野八海に藤村先生が参加されて、朝の天突き体操を全員で習ったのは印象に残っています。
司会: 先生の嗽も「強吟のクリ」でしたね。懐かしいですね。何と言っても合同謡の足の痛さ。後ろの上級生を振り向けず、じっと我慢。能研は体育会系ではないかと。(もっとも振り向いてひと言発した人もいましたけど…。)。後輩への「クズシ」の指導では、夕食後再指導、うまくできるとお酒一杯振る舞い。
小浦: 合宿は、足の痛さが一番きつかった。ずーとこの痛みと練習のバランスに悩んできました。それでも一週間の合宿は良い思い出です。
竹市: 正座の強い人にとっては、辛さは半分だったのでしょうけど。
司会: さて、卒業後の謡などとの関わりについては如何ですか?
<卒業後の謡との関わり>
竹市: 鈴木(雄)先輩に声をかけてもらって出版関係グループの大塚での謡会に参加させていただきました。現在コロナで休止中ですが、会が浦和に移ってからも参加しています。谷口先輩の鎌倉の会、吉川先輩の江戸川会、川口市の平田さんの会にも時々参加させていただいております。それから2019年10月、千代田区に明大校歌に因んだ「白雲謡曲会」という会を、明大にお勤めの高瀬さんに千代田区の住所・名前を借りて小船井、小浦、深谷さんなどと同士数人で立ち上げました。謡から少し遠ざかっているOBに声をかけ、月1回上中下本を中心に謡を楽しんでいます。最近は囃子もプログラムに加わりました。
小浦: 私は卒業後、積極的に練習はしておらず、たまに舞台を見る程度でした。白雲謡曲会の発足に合わせ参加できて嬉しく思っています。
司会: そうですね。先輩方が個人的に謡会を立ち上げていますね。私もお邪魔していますが、今はコロナで休止状態ですね。皆さんに会えず謡もできずストレス増進中です。再開(再会)を楽しみにしています。これらの会には卒業後謡から遠ざかっていた人も熱烈歓迎、welcomeです。是非ご参加ください。また昨年は現役学生との謡会を行いましたね。その後コロナ禍で学生も大学での活動が制限され大変なことになってしまいました。とてもかわいそうです。早くキャンパスでの授業と課外活動が再開されることを祈っています。
青陽会(小野栄二先生主催) 宇都宮市(左:竹市 右:小船井)
学生との稽古風景 秋葉原 (手前左:小浦)
司会: さて、近況やマイブームについてもお聞かせください。竹市さんは、大鼓を習われておられるとか?あのような痛い目をしてもやられるのは何故でしょう?
<近況・マイブームなど>
竹市: そうですね、確かに痛い思いをしますが、チョットした危機感からです。せっかく藤村先生から教わった囃子がOB会のなかで継承されなくなるのではという。最も具体的な例が、OB会の舞囃子に際して大鼓の締め方が分からず、鈴木啓吾先生に調べを締めてもらっている。これではまあ申し訳ないということ。締め方を覚えるということが直接の動機といってもいいほどです。幸い白雲謡曲会に大鼓方だった有吉さん、坂下さんが参加してくれているので繋がると思います。大鼓は吉川先輩がOB会へ寄贈してくださいました。もう一組ゲットしたいと思っています。
司会: 大鼓のほかでは、笛の間宮、太鼓の深谷、小鼓の小船井、小浦、渡邊、坂齊各氏も久し振りの囃子の稽古に取り組んでいますよね。せっかく教えていただいた囃子を継承できないことは残念なことですものね。竹市さんはこのほど、大鼓の「当て皮」と「指皮」とを、それぞれの大鼓方のために作製しましたね。大変な労作です。痛さゆえの涙でなく嬉し涙を流すことでしょう。小鼓についても一組吉川先輩がOB会に寄贈してくださいましたよ。
大鼓用の当て皮と指皮(竹市氏作製)
司会: さて、今秋はOB会発足70周年記念大会が予定されております。これに向けての取り組み、そしてご自身の今後の抱負や課題などについてお聞かせください。
<70周年記念大会・今後の課題など>
竹市: 大鼓用の手の掌に着ける「当て皮」と「指皮」の製作は創部40周年の前田先輩シテ能
「田村」の時以来でちょうど30年ぶり。全集中で作りました。この秋の70周年大会で舞囃子「屋島」の準備でもあります。山梨の市川先輩にシテを、地頭を菊地先輩にお願いしてあります。小鼓小船井、笛間宮でこれから練習です。学生時代「屋島」はシテ3年生市川、地頭菊地の各先輩、囃子は2年生大鼓伊藤、小鼓久保田、笛添田各先輩、我々1年生は地謡でした。昨秋、山梨で合宿を予定しましたがコロナ。早く終息して合宿ができれば良いですね。
司会: 一緒の稽古が1年間もお預けになっていますね。限られた時間のなか稽古不足をなんとか取り戻さなければなりませんね。
竹市: 70周年のことも課題ですが、やはりOB会への参加者が少しでも増えるような取り組みをしていくことが必要だと思います。もともと能が好きでクラブを続けた方ばかりですので、ちょっとしたキッカケで「またやってみるか」となるのではないでしょうか。そのキッカケを
作る取り組みをしましょう。現役の皆さんに対してもできるだけの支援をしていきましょうよ。
司会: 本日は、お忙しいところ貴重なお時間を頂戴しましてありがとうございました。
年齢を重ねると学生時代が懐かしく思われてきます。今日は学生時代の懐かしい事どもが想い出されたひとときでした。各時代のOBもエピソードがあることと思います。是非とも投稿をお願いします。
吉川会長のもと、能楽という共通の事柄に携わったOB同士が繋がり、会の活動がますます活発になることを願っています。一刻も早くコロナが終息し、安心して暮らせる日常が戻ってくることを願う次第です。勿論、謡のお稽古もできることを!
※竹市・小船井・小浦様投稿有り難う御座いました、ホームページ御覧の皆様の投稿をお待ち申しております。下記にお知らせ頂ければ幸甚です。
youkyokug1947@gmail.com
又はmeidainoukenob@gmail.com
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